【震災ボランティア】2018年の現状&当時の体験談や作業内容
2018/04/15
また3月11日がやってきました。東日本大震災が起こった2011年のあの日からもう7年。
復興庁の調べによると、特に被害の大きかった岩手・宮城・福島の3県、そして地元を離れ全国に散らばった被災者で、今もまだ仮設住宅に住んでいる人たちがおよそ7万3千人います。
そこで今回は2018年現在求められている震災ボランティアの内容と、2011年当時実際に僕が活動した際の状況や感想、その違いなどを共有してみたいと思います。
現在求められていること
ボランティア
震災直後からしばらくは自衛隊や消防などによる救助や捜索、瓦礫の撤去が続きました。
そんな中、一般ボランティアの作業内容で一番多かったのは、全国各地から続々と届いてくる物資の仕分けや被災家屋の泥出しでした。
今現在そういったものはほとんど無くなり、被災者応援イベントの手伝いやサロンの運営、引越しの手伝いなどの生活支援がメインのようです。
興味がある人は下記リンクから確認してみて下さい。
福島、宮城、岩手でボランティアを募集している団体の情報があります。
現地に行けない人は
様々な事情で現地のボランティアに参加できない人も、被災地の品物を買って応援したり、被災地へのツアーに参加し現地にお金を落とすことで、それが応援に繋がります。
原発のトラブルによる放射能の影響が心配されていた福島県産の米や海産物も、2015年以降国の基準値を超えたケースはゼロ。
十分に安心して食べられるようになっており、僕も美味しく頂いてます。
2011年当時の震災ボランティア実体験
当時、現地入りしてボランティアをしようと考えた僕は、まずネットで状況を確認してみました。
震災発生から1ヶ月以上が経ち、既にたくさんの場所でたくさんの団体が活動していた頃。
東京から1泊2日でボランティアをしにいくバスなんかも出ていましたが、もうちょっと長く現地で活動したかったので、寝泊りできる場所を確保していたグループにコンタクトを取りました。
そして向かったのが特に被害の大きかった地域の1つ、宮城県の石巻市。
僕はここの学校に泊り込み、半月ほど共同生活をしながらボランティアをした。
避難所になっていた学校内部。
廊下その他いたるところに全国から送られた応援のメッセージが貼られていた。
子供からお年寄りまでその頃はまだ教室内をダンボールなどで一部区切って生活していて、僕らボランティアは持参した寝袋で雑魚寝。
その時の石巻市はこんな状況。
あらゆる物が流され、破壊され、機能を停止していた。
一輪車に必需品であるスコップその他の道具を乗せて現場まで向かう。
ヘドロで埋まった側溝をさらって水が流れるようにしている様子。
水分を含んだ泥は重たく、大きな石などもゴロゴロしているので作業は本当に少しずつしか進まない。
時には丸一日かかっても1つの現場が終わらないこともあった。
それでもみんなで力を合わせ、1つずつこなしていきます。
もちろん日本人もだけど、たくさんの外人さんが来てくれていたのがすごく印象的だった。
まとめ
2018年現在のボランティアは、震災直後大量に必要とされた泥出しなどの汚れ作業が減り、イベントの手伝いなど比較的汚れにくい作業がメインになりました。
宿泊場所に関しては受け入れ先によって様々だけど、地域の宿泊施設と連携して1泊500円程で泊まれるようなケースもあり。
復興って簡単なことじゃあないけれど、少しでも助け合っていければ。
今後もそれぞれ出来ることをやっていきましょう。
スポンサーリンク
人気の記事
- 1
-
世界の主要都市の緯度一覧!最高&最低気温もリスト化、比較してみた。
日本と世界、計150ヶ所超の緯度と気温をまとめて分かった意外な(?)傾向など。 ...
- 2
-
【自転車旅行の持ち物リスト】僕がヨーロッパ縦断した際の装備を公開します
このページでは、昨年僕がやった「自転車によるヨーロッパ縦断チャレンジ」の際の装備 ...
- 3
-
【狂犬病】ヨーロッパで犬に噛まれた体験談。ワクチンが無いので…
【海外事情】ヨーロッパで有料の救急車に乗った体験談。の続きです。 とりあえず噛ま ...
- 4
-
旅人には何故ビリーバーが多いのか?懐疑論者のすすめ。
「ビリーバー」って単語を知ってますか? 英語の Believe からきていて、簡 ...
- 5
-
日本一標高の高い村と町。ヨーロッパやアメリカ等の一番も調べてみた。
前の記事で比べた通り、標高の高い順となるとどうしてもチベットと南米勢で埋め尽くさ ...