明治期に自転車で世界一周した中村春吉の持ち物やルートを調べてみた!

      2018/09/27

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元祖自転車世界一周!明治の冒険野郎・中村春吉。

奇しくも同姓の世界一周旅行家、中村直吉が出発した翌年の1902年(明治35年)に日本を発つ。

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春吉の辿ったルート

1871年(明治4年)3月10日、広島県は瀬戸内海に浮かぶ大崎下島(現在の呉市)に生まれる。(明治5年生まれという説もあり)

もともと武士の家柄で、父は早くに亡くなり、兄がいた。

弱冠12才で朝鮮半島への無銭旅行を試み「死にそうな目に遭った」との本人談もあり、生来の冒険野郎だったようだ。その後も何度か海外渡航を試みている。

小さい頃から腕白で腕自慢だった春吉は、自ら志願して軍への入隊を希望。徴兵検査では甲種合格したものの、クジ引きで外れ取ってもらえなかったという。

1893年(明治26年)にはハワイに移住したが、4年後の1897年に日本に戻る。

帰国後は馬関(下関)で通訳(または翻訳)の仕事をしていたが、1898年(明治31年)2月頃にその地で「馬関忍耐青年外国語研究会」を開く。

月謝は僅か十数銭(今の価値でおよそ2~3千円くらい)と非常に安く、すぐに500~600人ほどの生徒を集めるまでになったが、家が資産家の生徒たちがもっと月謝が高くてもいいので外国人教師を雇ってくれと要望。安価な料金設定で貧乏な人でも誰でも気軽に習える会を目指していた春吉はこれに憤慨して僅か半年足らずで教室を閉鎖した。

その後、貿易そして移民事業を思い立ち、その視察も兼ねて日本人初となる「世界一周自転車旅行」を立案したのが同年(1898年)の9月。

1901年(明治34年)11月中旬から12月の中旬まで(12月11日からという資料もある)約1ヶ月かけて下関から東京まで自転車で旅し、一日8時間の走行で100km程度は余裕で進めると確信した春吉。

彼は生まれつき身体が頑丈で腕っぷしも強かった。平均身長が150cm台とされる明治時代の日本にあって身長170cmの偉丈夫。拳は石のように硬く、殴れば柱も凹ませた。

これは世界一周後のことだと思うが、英語だけでなく中・韓語も使え、またスペイン語などもある程度は話せたらしいし、ビリヤードも上手く、八雲琴に至っては何気なく聴いていた人が思わず姿勢を正すほどの腕前と、その文武両道ぶりが伝わる。

春吉を知る人間は「彼は潰しが効く人で、大工でも靴屋でも菓子屋でも水夫でも演説でも何でも出来る。今すぐ無人島に流されたとしても、あのロビンソンクルーソー以上にやり抜くだろう」と評している。

 

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1902年(明治35年)2月25日(2月22日だったという資料もあり)、中村春吉31才。当時日本の玄関口だった横浜港から汽船丹波丸にて出発。

下関に寄港した丹波丸は3日後上海に、さらに5日後の3月8日香港に到着。

もともと春吉は香港で船を乗り換えオーストラリア行きを計画していたが、現地で排他主義が高まっているという情報を得て行き先をシンガポールに変更。再び丹波丸に乗り込む。

シンガポールに到着したところからが春吉の自転車旅のスタート。

まずはビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)へと向かったが急峻な山岳地帯を越えられず、出発したその日にシンガポールに帰還。一旦仕切り直しとなる。

マレー半島を自転車で走ることを諦め、船でビルマまで渡ることにした春吉は、在留邦人の口添えでイギリス汽船の労働旅客(ワークパッセンジャー)の枠に入れてもらう。

これは無賃で乗せてもらう代わりに自分の労働力を提供するギブアンドテイクの形で、当時はよくあったらしい。もし今もあれば、個人的に一度はやってみたいスタイル。

3月18日にシンガポールを発って海路ビルマへと渡り、ラングーンから改めて自転車旅をリスタート。およそ2,000km離れたインド東部の街カルカッタへと向かった。

 

4月1日、無事カルカッタに到着…とあるが、約2,000kmの距離を重い荷物を載せて一週間や10日そこらで走るってのはちょっとペースが速すぎるので、日数か距離か何かちょっと間違っているのかもしれない。

4月16日、仏陀が悟りを開いた地と伝わるブッダガヤに到着。

その後デリーやアグラその他各地を巡って半年ほどインドに滞在。砂漠の地で餓死寸前の時に黒ヒョウに出遭った際は、そいつを叩き殺して肉を食糧とし、命を繋いだ。

ハイエナと遭遇した際には親は殺し子供を生け捕り、大使館を通じて日本へ送ったりもしている。後にそのハイエナは東京の上野動物園で長く飼われていた。

10月10日。長く滞在したインドに別れを告げ、イタリアの汽船でボンベイ(ムンバイ)からアラビア半島南端のアデンへ。当時アデン周辺には海賊が出たらしい。

6日間の船旅でアデンに着くと、翌日にはそこを発ち紅海を海路北上。3日後の10月20日にスエズ着。

ここからまた自転車に乗り、カイロ経由で地中海側のポートサイドへと進む。

10月28日の朝、汽船に乗ってそこを発ち、30日午後にイタリアのナポリ(?)着。

11月9日、ローマを出発。

11月15日、アルプスを越えてフランスのゼノア(ジェノバ)着。

マルセイユからリヨンまでは汽車で6時間、リヨンからパリへは自転車を飛ばし、パリ郊外でテントを張って宿泊。現地の新聞に載ったのでたくさんの人が訪れたようだ。

1月7日、ロンドン到着。ここではその知名度から貴族の舞踏会に招かれたが、なんせ長旅の途中。そんなところへ着ていく服があるはずもないので現地邦人に正装の上下を借してもらったが、シルクハットやネクタイなどの小物を借りるのを忘れてしまう。

舞踏会では大いに笑われたが、もちろん春吉はそんなこと一切気にせず旅は続く。

 

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1903年(明治36年)1月22日、またしても汽船に労働旅客として乗り込み、リバプールから大西洋を横断し、アメリカ大陸東岸のボストンへは2月21日着。

本来は一週間の航路だったが、この時海は大荒れ。マストは折れブリッジも破壊されたが、なんとか沈没を免れてアメリカにたどり着いた。

ボストンでは現地で商売を営んでいる邦人に150ドルの餞別をもらい、その資金でニューヨークまで汽車に乗る。そこから自転車でフィラデルフィア、ワシントンを経て西へ。

毎日自転車を走らせながら、湿地帯に出くわした時には自転車を担いで歩き進む。

さらにシカゴ以降も鉄道線路に沿ってひた走り、夜は駅で野宿。各地の新聞に載ったため見物客が山ほど押し寄せたとか。牛乳や菓子、果物などの差し入れが引っ切り無しだったと記録にある。

ミシシッピ川を渡り、ロッキー山脈のふもとを走り、ついに4月10日、アメリカ大陸西海岸のサンフランシスコに到着した。

ここでは在留邦人が集まって催した運動会に招待され、そこで参加した自転車レース(ビリだったが)の賞品としてサンフランシスコから横浜への乗船券を贈呈された。

4月30日に船はハワイへ寄港し、1903年(明治36年)5月10日、およそ1年3ヶ月の世界自転車旅行を終えた中村春吉は横浜港に帰還した。

 

余談だが、明治後期のこの前後、古い新聞などを調べると無銭旅行が流行っていたことが分かる。

もちろん今みたいに誰でも気軽に海外に行く時代じゃないんだけれど、無銭旅行者の話題がたびたび新聞に取り上げられている。

春吉は常々「無銭道人」と自称し、また旅行者が気軽に海外を旅することを阻む、汽車賃、船賃、宿賃、食賃、地賃(関税など)の5つを征した(無銭で通す名人的な意味か)として、五賃将軍とも称していた。

 

春吉の自転車と持ち物

相棒はランブラー

春吉が共に世界を一周した愛車はアメリカ製の「ランブラー(Rambler)」。

シカゴのゴーマリー&ジェフリー社(Gormully&Jeffery Mfg.Co.)が1878年から1900年にかけて製造していた自転車。

金属チューブにフレア処理を施して接合部の強度を増し、黄銅を溶解させてろう付けするという画期的な手法は、現在最良の技術として知られている。

ちなみに開発者のトマス・B・ジェフリーは後に自動車開発にも乗り出し、人気車種となるランブラー自動車も生み出している。

 

出発時の荷物

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春吉はこのランブラー自転車(型はちょっと違うが)にカバンを括りつけて荷物を入れた。

内容はまず食糧が…生米を一斗二升(21.6L、重さにして約18kg)、砂糖、塩、うどん粉、梅干し、鰹節、高野豆腐など。

その他、怪我した時のための消毒液、包帯に絆創膏、野営するための蝋燭、角灯が4つ、テント、敷物、その他小物など。

総重量は二十一貫八百目。キログラムに直すと約82kg!!

自転車の重量込みなのか別なのかは分からないが、込みだとしても僕の2倍以上はある。

それで一日100km、しかも当時は今ほど道路も舗装されていたわけじゃなかったろうから、それを考えると春吉の脚力は相当すごい。

 

明治の自転車の値段

当時まだ国産の自転車は数少なく、ほとんどが米英からの輸入物だった時代。いったい値段はいくらぐらいだったのか気になって調べてみると、あの小説家の志賀直哉(1883~1971)が高校生の頃に春吉と同じランブラー自転車を購入していた。

その価格が新品で140円。中学時代に乗り回して中古になったデイトン(これもアメリカ製)を50円で売って、このランブラーを購入したとある。

1883年生まれの直哉が高校生になった頃だから1898年前後のはずで、春吉の世界一周出発が1902年だからほぼ同時代。

じゃあそれが今の価値でいくらぐらいなのかって言うと(中村直吉のページでも触れたように「当時の小学校教員の初任給が9円ぐらい」から計算すると)、当時の100円がだいたい今の200万円。つまり140円なら280万円てことになる。

た、高っか!!!

今でもロードバイクの良いやつは自転車なのに何十万円もするし、僕のヨーロッパ縦断の相棒だって15万したけど、280万はちょっと手が出ない。

志賀直哉は名家の生まれ。学生時代に歌舞伎にハマり、人力車で歌舞伎座に乗り付けてはいつも上等な席で観劇してたらしいから、同じくドハマりした自転車も資産家の親がポンと買ってくれたんだろうけど、春吉はどうやってその費用を用意したんだろうか?

自転車世界一周と言う当時の日本でまだ誰もやったことのない壮大な計画に共鳴した資産家が援助してくれたのか?それとも出発以前に主催していたという外国語研究会の売り上げを貯めていたのか?

 

後日、古い資料を当たっていると、外国語研究会の月謝が判明。

それによると月に十数銭(今の価値でだいたい2~3千円)で生徒は500人程まで増えたらしいから(仮に15銭として)単純計算すると「15銭x500人=75円」、月に75円前後は入っていた計算になる。

自転車が140円なら(もちろん教室の家賃や教材費、人件費なんかも掛かるだろうが)例え研究会の実働が3ヶ月程度だったとしても買えない金額じゃあない。

 

その後の中村春吉

帰国の翌年となる1904年(明治37年)に「無銭冒険自転車世界一周」が雑誌に掲載。その後、春吉本人とその周囲の要望もあり書籍化。

1909年(明治42年)に「中村春吉自転車世界無銭旅行」が刊行された。

 

放浪期

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世界一周から帰ってきた翌年にはまたしても日本を出ていたようで、朝鮮半島や満州辺りを行ったり来たりしながら「移民事業をやって世界各地に日本人村を造りたい」と周囲に話していた春吉。

ちょうど日露戦争(1904~1905)の時期だったこともあり、実は軍事的な機密を帯びたスパイだったんでは?っていう説もあったりするんだけど、実際は金鉱を探したりしていたようだ。

 

霊能期

そんな春吉だが、時代が明治から大正に変わる頃には神田霊海なる人物との出会いからオカルト路線に踏み込んでいく。

1913年(大正2年)には「霊動法」という看板を掲げてその普及に努め、ウソかホントかあの野口英世の前でも実演し評価されたという逸話もある。

霊動法の名は欧米にも届いたようだが、怪しげなオカルト医術ということで現地の新聞には否定的なことも書かれている。

1925年(大正14年)には東京市四谷で「中村霊道治療院」(霊動法を霊道法に改めたのか)を開設するも、3年ほどでそこを弟子に任せて故郷の広島、大崎下島へと帰る。

この時年齢はまだ50代半ば。豪傑・中村春吉にしては随分と隠居が早い気がするが、いったいどんな心境だったのか。

1945年(昭和20年)2月、第二次世界大戦の終戦半年前に死去。享年73歳。

1952年(昭和27年)、弟子らの手で春吉の故郷にある御手洗島天満宮の境内に「霊道法ノ祖 中村春吉先生記念碑」が建立される。

おそらく墓も同じ島内にあると思われるので、機会があれば手を合わせに行ってみたい…なんて個人的には思ってます。

 

中村直吉との比較

中村春吉(1871~1945)と中村直吉(1865~1932)。

同じ中村姓でどっちも名前に「吉」が付く。「春」と「直」だけの違い。

活動時期もやったことも驚くほどシンクロしてるんだけど、不思議なことにこれがまったくの他人。

2人の旅を本にしたのも同じ押川春浪だから、押川を通じてお互いのことを知ってはいたはず。

 

出身地

春吉:広島県
直吉:愛知県

人物

野性味溢れる逸話が多いタフガイ・春吉が冒険家であるのに対し、直吉は旅行家なんだと思う。行った範囲が広いのは圧倒的に直吉だが、旅の難易度は自転車移動をメインとしている春吉に軍配があがる。

世界旅行の期間

春吉:1902年~1903年
直吉:1901年~1907年

移動手段

春吉:船、自転車、汽車
直吉:船、汽車

世界旅行の範囲

春吉:アジア、ヨーロッパ、北米
直吉:アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オーストラリア

旅行期間が被っているので「2人はどこかで会ってたりしなかったのか?」と思って調べてみたところ…

1902年の春から夏にかけて、2人共にシンガポール、ビルマからインドあたりに滞在している。そのどこかの街で出くわしていた可能性は十分にあるだろう。

もし言葉を交わしていたら、どんなことを話すのかと考えると興味は尽きない。

 

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