【大阪万博】写真で見るエキスポタワー建設と解体の風景
2017/08/11
こんにちは、KOUです。
先日まで大阪の万博公園で行われていた「建築の記憶」展に行ってきました。
目当てはエキスポタワーの写真展。
以前から好きだったサイト、「エキスポタワー写真館」(今は無きエキスポタワーの撤去当時の様子を約8ヶ月間に渡って毎日撮影していて、一日ごとの変化を写真で見ることができます)の記録写真が展示されるということを知り、これはぜひ行ってみたいと思っていたやつです。
パネル展示された写真も非常に良かったんですが、14年かけて精密に再現された手作りのエキスポタワーがもの凄かった…!
合計100枚弱ほど撮ってきたので、行けなかった人は画像で確認してみて下さい。
建築の記憶展 in EXPO'70 パビリオン
正式名称は「The Legacy of EXPO'70 建築の記憶-大阪万博の建築」といって、2017年3月25日~7月4日まで開催されていました。
会場は万博公園内にあるEXPO'70 パビリオン。元は鋼鉄館だった建物です。
曇り空の下、大阪モノレールの万博記念公園駅に到着。
大人250円の自然文化園入場券を買って公園内に入ると、太陽の塔を正面に見て右側の道を進む。
数分歩くと見えてくるのがEXPO'70パビリオン。
さっそく入ってみます。
特別展示はここから奥に入るようです。
この展示の入場料は400円で、同建物内でやっている常設展(200円)の入場券がある場合は100円引き。
1階フロアは万博当時にあった各国各企業の館の縮小模型などがあったんですが、写真撮影は不可とのことだったのでここでは端折ります。
特別展内部の階段を上がると2階はすべてエキスポタワーに関する展示でした。
まずはタワーが建てられた時の写真からじっくり見ていきます。
エキスポタワー建設風景
1970年1月から1971年3月にかけて建設作業が行われました。
ちなみに以下にある画像はすべて、写真撮影可の特別展2階で撮ったものです。
簡単な説明と撮影時期が書かれたシンプルな展示。
月ごとの時系列に沿って並べられているので、気になるものは一枚ずつ見ていきましょう。
昭和45年(1970年)1月着工。
当時ここは森を伐採したばかりのただの丘。写真が白黒なところが時代を感じますね。
3月、深礎削岩中。
地上から穴の底へ向けてバケツが降りてきています。
4月、ベース配筋。
穴の底に作業服を着た3人の男性が大の字で寝転がっているのが見えます。
5月、B3Fスラブ配筋。
6月の様子。
左が第一柱水平材取付。右は柱根巻コンクリート型粋。
同じく6月、柱根巻コンクリート打。
巨大なタワーの基礎が徐々に出来てくる様子が分かります。
7月、左がX型梁地組の様子。
右はタワークレーン建方。かなり大きなクレーンです。
8月、タワークレーンベース盛替。
タワークレーンの上にヘルメットを被った3人の男性が見えます。
9月、左はX梁取付中治具付タラップ。右は水平材取付け中。
どちらも足場の不安定な高所で作業をする男性の写真。
「立換完了祭り」とキャプションが付けられ、真ん中の男性がボトルに入った液体を笑顔で柱の中心に流し込んでいます。
お清めの日本酒かな?
9月、左はキャビン吊上中。右はそのキャビンを取付中の写真。
9月、オープンデッキ吊上。
タワーの形がかなり出来上がってきています。
12月、水平フレームペンキ塗。
支柱に跨ってペンキを塗る男性の姿が見えます。
明けて昭和46年(1971年)1月、コーキング施工中。
画像中央に命綱を付けて作業中の人が見えます。
3月、ついに完成したエキスポタワーの北面を写した一枚。
……とここまで書いてきて違和感が。
ちょっと待てよ…
さっきのモノクロ写真に付けられていたキャプションによれば、エキスポタワーの着工は1970年1月で竣工は早くとも1971年1月以降。
一方で万博の開幕は1970年3月。
…てことは……これじゃ開幕に間に合ってないじゃないか!?
wikiを確認してみると「エキスポタワーの竣工は1970年2月」と書いてあって、これなら開幕のひと月前だから辻褄が合う。
万博の開催中は色がシルバーだったとか、万博の入場券でエキスポタワーにも登ることが出来たとかの記述もあるので、万博の開催中にタワーがあったことは間違いなさそうなんだけど。
…ていうことはwikiが正解でこっちは間違い!?
けどエキスポタワーがメインの特別展示で、その重要な年月日を間違えることってある??
とりあえず以下続きますが、事実がハッキリしたらまた加筆予定です。
エキスポタワー概要
1970年3月15日から9月13日まで半年に渡って開催された大阪万博の用地の一角に建設され、太陽の塔と共に2つのシンボルタワーとして長く親しまれました。
エキスポタワーの高さは127mで太陽の塔の70mよりも高い。
1990年3月末までは内部のエレベーターで地上93mの展望キャビンに上がることができました。
wikiによると建設費は約8億円。
エキスポタワー解体風景
2002年8月から2003年3月にかけて解体作業が行われました。
当時の新聞記事によると、解体作業の完了は1970年の万博開幕の日に合わせて3月15日頃の予定となっています。
ずらりと並べられたこのパネルは、すべて同じ場所・角度からのエキスポタワーの写真。
エキスポタワーに魅せられた近隣の男性の手で2002年8月1日から2003年3月15日まで、ほぼ毎日撮られています。
全225枚の定点観測記録です。
8月に外側のコンクリート塀を壊すところから始まった解体工事も、11月には巨大なクレーンが登場してついに本体が分解され始めました。
上部がすでに撤去されている12月のエキスポタワー。
大晦日の花火をバックにエキスポタワーの影が浮かび上がる。
通路の突き当りにはこれも花火を背にした特大の一枚が。
大阪の人間としてエキスポタワーには強い思い入れがあるので、この前に立った瞬間思わず背筋にぞくっ!としたものが来ました。
良い映画のクライマックスなんかで感じるあの感覚。
この光景がもう3次元で見れないのかと思うと切ないですね。
1月にはもう半分以上撤去が進んでしまい…
見る度ごとにタワーは姿を削られていく。
2月に入るともうクレーンしか見えていない。
そして写真は撤去作業の終了予定日だった3月15日で終わっています。
8ヶ月間、本当にお疲れさまでした。
解体時のエキスポタワーに取り付けられていたと思われる航空障害灯。
この展示のパンフレットとチケット、そしてエキスポタワーで使われていたであろうパネル。
高さ127mっていうと通天閣の108mよりも高いんですよね。
当初の構想では300mという案もあったらしいけど、予算などの関係でこの高さに落ち着いたんだとか。
老朽化のため解体され、跡形も無くなってしまったこのタワー。
もし「2025年の万博が大阪に決まったらエキスポタワーを復活させる!」なんてなったら相当盛り上がるんだけどなー。
続いてはこの定点観測写真を撮り続けたのと同じ人が、膨大な時間をかけて部品1つ1つから手作りしたエキスポタワーの模型が隣りのブースに展示されているのでそちらの方へ行ってみました!
【必見の超模型】製作に14年かけた手作りのエキスポタワーが凄すぎる
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